コンテンツあれこれ雑記(アニメ編) -3-


HIROMAの森です。

 前回は、アニメができるまでを、
 ざっとフローチャート(流れ図)で見ていきました。

 その中で、最初に出てくるのは「プロデューサー」だと、
 紹介しました。

 今回は、アニメにおける
 そのプロデューサーの役割について、
 ちょっと考えてみたいと思います。

 まぁ、監督という言い方も、
 ありかと思います。


○最初はやっぱり企画書


 プロデューサーといっても、ピンとこないかもしれませんね。
 
 では、実際に何かアニメのオープニングかエンディングを見てみましょう。
 10個アニメを見たら、そのうち半分以上で、

 最後のほうで
 「製作 ○○製作委員会」とか書いてあるはずです。

 プロデューサーは、その「○○委員会」の総責任者だと、
 いってもいいかもしれません。

 別の言い方をすれば、
 プロデューサーは、いわばアニメの「生みの親」。
 生みの親だから、子どもの責任は、自分が最終責任を負うことになります。

 でも、こういう反論もあるかと思います。

「とはいっても、最近の商業アニメは、ほとんどマンガをアニメにしてるから、
 プロデューサーが作っているわけじゃないじゃん」


 確かに、プロデューサー自身が無から有を生み出すケースは、
 あまりありません。

 でも、実は、プロデューサーは、実質アニメを生み出しているわけです。
 それはどのような形かというと……

1.アニメをTVかOVAかに流すようにするための
 「企画書」作りの総責任

2.企画書に添った形でのアニメの内容の加工

3.アニメの時間軸(業界用語では「尺」)の最終調整

 どれも大変なんですが、
 やっぱり、1が大変なのではないかと思うわけです。

 企画書と名がつくものはみんなそうなんですが、
 必ず、以下のことを訴えなければならないわけです。

「なぜ、そのアニメを流す必要があるのか?」

 その説得材料として、
 原作が売れているからだとか、
 内容が、青少年の健全育成に役立つだとか、
 そういったことを、まとめないといかんわけです。

 で、1の内容をもとに、2の範囲もある程度絞られてきます。

 わかりやすいケースだと、
 テレビで流すからには、放送禁止用語は使えない、
 ってケースですね。

 そういうことを考えると、
 ある程度倫理的にどうかと思うものは、
 OVAのみにするとかの工夫がいると思うんですが、

 最近は、その倫理基準がゆるいのではないかと、
 思うことがあったりします。

 個人的には、ブラックラグーンをTVで流したり、
 ひぐらしをTVで流すのは、どうかと思うんですけどね。

 特にTV版のブラックラグーンでは、
 台詞のほとんどが消されてたと聞きます。
 まぁ、そりゃそうなんですけど。

 3の時間軸の調整の大変さについては、
 ドラゴンボールを考えれば、実感できますよね。


 まぁ、生みの親の苦労の甲斐あって、
 アニメは第一歩を踏み出すのですが、
 
 やっぱり、ライターの苦労は、
 あるわけです。

 次回は、そのあたりを考えていきたいと思います。


 ……そろそろ、他のHIROMAメンバーの投稿が欲しいなあ。

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